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正修寺別院「縁の里」動物霊園のブログ

大阪府茨木市の正修寺別院「縁の里」動物霊園では、家族の一員として共に暮らしたペットたちが安らかに眠れるように日々供養をいたしております。「縁の里」でのイベント情報や日々の様子をご紹介しています。

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本門法華経の梗概(こうがい:概要) 第3回

そのとき、釈尊は弥勒菩薩の問いに答えんため、諸の菩薩並びに一会の大衆に告げて、「諸善男子!そちたちは釈迦牟尼仏がまさに説かんとする仏の誠諦の語を、心からよく信解せねばなりませぬぞ。」

またまた、大衆に向い、「そちたちは釈迦牟尼仏がまさに説かんとする誠諦の語を、心からよく信解せねばなりませぬぞ。」と三たびまでも仰せられると、弥勒菩薩を首として大衆は合掌し、
「世尊!どうかお説きくださいませ。私たちは まさに世尊のみことばをよく信受いたします。」とこれまた三たび誓いを立て、更ににまた、
「どうかお説きくださいませ。私たちはまさに世尊のみことばをよく信受いたします。」とくりかえし、懇請してやまないので、釈尊は、
「そちたち、よく聴け、仏の有(も)つ、秘密と神通の力の如何なるものであるかを。一切の世間の人たちは、われ釈迦牟尼仏は、迦毘羅衛城(かびらえじょう)を出て、伽耶城(がやじょう)近くの尼連禅河(にれんぜんが)のほとり、菩提樹下に法座をつくり、無上正覚を得たものと思っているが、実にわしが成道したのは、量り知れぬ遠い乃住(:むかし)のことだ。

それを譬えるなら、五百千万億那由陀阿僧祇(なゆたあそぎ)の三千大千世界を、-----那由陀は百億あるいは千億と訳し、阿僧祇は無数と訳す-----、誰かあって微塵に砕き、それを携えて東へ東へと行き五百千万億那由陀阿僧祇の国を過ぎたところで一塵を置き、また、五百千万億那由陀阿僧祇の国を過ぎて一塵を下し、かくして悉(ことごと)く塵(ちり)が尽きた時、諸善男子! この国々の数を計量することができるであろうか?」

弥勒菩薩たちが答えて、
「世尊! その国々の数は無量でして、数えることはもとより、思いも及ぶことではございません。すべての煩悩をば断じ尽くした声聞たちの無漏智(むろち)を以てしても、その数を知ることは不可能であります。私たちはみな二どと迷うことのないよう不退の位にいますが、どうとも力が及びません。これらの国々の数は、無量無辺(むりょうむへん:かぎりなし)と申すの外ありますまい。」

「諸善男子!いまそちたちに明らかに告げよう。さきにいった塵を置いた国と、素通りした国とを一緒にしてまた悉く砕いて微塵とし、その一塵々々を一劫(いっこう)にたとえて数えたよりも、われ釈迦牟尼仏が成仏してより今日までの方が、更に遠いこと、五百千万億那由陀阿僧祇劫もの乃住である。

この遠い昔より、常にこの娑婆世界に在って、人々の教化を続け、また他の多くの国々に於いても、衆生を導いているのだ。諸善男子!かかる教化の途中に於いて、釈迦牟尼仏としての名でなく、然燈仏(ねんとうぶつ)などの名号を名乗り、また入滅するぞ、ともいったが、これは衆生を教化する上での方便である。

衆生が教を求めてわが所に来るなら、仏眼を以て信仰、智慧、その他のことの利(さと)さ、鈍さなどをよく観察し、それに応じてよろしきように、仏としての名前、その寿命、在世の歳月、滅後の時代の長短等を説き、或は入滅のことを告げるなど、種々な方法によって巧みに微妙な教を説き、衆生をして歓ばしめて来た。

諸善男子!釈迦牟尼仏は、衆生が小さな教を求め、徳薄く、罪の重いのを見ては、高遠な教を説いても解し難かろうから、こんどの出世のように、少(:わかく)くして出家し、難行苦行して正覚を得たものと語るが、実にわれ釈迦牟尼仏が成仏したのは、まことに久しい久遠の乃住で、それは先に語った通りだ。だが、それを今日はじめて正覚を開いたものの如く説くのは、方便によって人々を教え、仏の道に入らしめんがためである。

諸善男子!仏の演(の)べるところの経典は、偏(ひとえ)に衆生を済度せんがためで、或は仏の身について説き、或は化身して現す菩薩以下の九界の応化の身について説き、或は仏の身を示し、或は九界の身を示し、或は仏界のことを示し、或は九界のことを示しなどするが、語るところは悉く真実で、いささかの虚事(そらごと)もない。何故かというに、釈迦牟尼仏はあるがままに世の中の相を知っていて、生に囚われず、死に禍いされず、退とか、出とかいう流転に煩わされることなく、世に在るにしても、滅を示すにしても、凡夫の眼に見るが如きものでなく不滅にして常住の身である。実といい、虚といい、平等といい、差別というも、凡夫が世の中を見るが如きものではない。こうしたことの真実を、露ほどの謬(あやまり)もなく見究めている釈迦牟尼仏が語るところには、いささかの誤りもない。だが、衆生の性質なり、欲望なり、行動なり、思想なり、判断等が千差万別なので、それに従って善根を植えしめようと、いろいろの因縁なり、比喩なり、言辞(ごんじ:ことば)を以て種々に教を説き、衆生済度の仏事をば、未だかって寸時もやすんだことがない。


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