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正修寺別院「縁の里」動物霊園のブログ

大阪府茨木市の正修寺別院「縁の里」動物霊園では、家族の一員として共に暮らしたペットたちが安らかに眠れるように日々供養をいたしております。「縁の里」でのイベント情報や日々の様子をご紹介しています。

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迹門(しゃくもん)法華経の梗概(こうがい:概要) 第 27回

常に大衆の中にあって、私たちを失墜せしめようために、国王や、大臣・居士(こじ)などの権威者をはじめ、多くの僧侶に向って誹謗し、私たちを、「彼らは邪な考えを以て外道の教を説いているのだ」などとそしるでありましょう。しかし、私たちは世尊!の仰せに畏(かしこ)み、これらのすべての苦難を忍びます。

時代そのものが濁り果てている悪世には、この外にもいろいろ怖ろしい苦難があります。悪魔が人々の身のうちに入って、私たちを悪罵(あくば)し、侮辱するでありましょうが、私たちは世尊を念い、忍辱(にんにく)の鎧(よろい)を着、この経を説くために、一切の迫害に堪(た)えてまいります。私たちは身命をば決して惜しんではいません。惜しむところはただ世尊!の教えたもう無上道のみです。私たちは世尊の滅後のご委託に必ず副(そ)うでありましょう。それは、世尊のよく知ろしめされるところと存じます。

濁世の心悪しき僧侶は、世尊の説法に方便のあること、時によって一時的な教のあることを弁えず、世尊!の出世の根本理想たる法華経を修行する行者を、悪口し、眉をひそめ、数々(しばしば)所を追い、寺塔よりも追放するでありましょう。しかし、かかる迫害に対しても、世尊!の告勅(みことのり)を念い、よく耐えてまいります。

都合を問わず、法華経について聴かんとするものがありますなら、私たちは直ぐとそこに行き、世尊より委ねられました教を説きましょう。私たちは世尊の使いです。いかなる人に対しても、畏れ、憚(はばか)るところはありません。必ず法華経を説いてまいります。どうか、お心安く思し召しください。

八十万億那由陀の菩薩が、釈尊の滅後の悪世に不惜身命の覚悟を以て、法華経の弘通を誓う大誓願を聞いた文殊師利菩薩は、かかる大誓願の実践は、彼らの如き修行の深い大菩薩にしてはじめて可能のことで、まだ初信の行者のよく耐え得るところでないのを憂慮して、初心の者も滅後に法華経の信仰と弘通の方法はないものかと、釈尊に、「世尊!これらの大菩薩衆は、世に有り難い方々ばかりです。世尊のみ心に随順して大誓願をたてられましたが、かかる苦難迫害を忍んで、末の世に法華経を弘通するのは、まことに容易のことではありません。そこには、初心の行者にも、滅後に法華経を弘通し、修行しえる何らかの方法はございますまいか?」とおたずねした。

釈尊はこれに対して、「文殊師利!初心の行者たちにも、滅後法華経修行の仕方がないではない。それには下の四つの大事を注意することだ。

第一には、行者は『身』を持つに柔和で、粗暴でなく、何事にも無分別な行いがあってはならなぬ。身を処して、国王とか、王子とか、大臣とか、宰相などの権威者に近寄らず、外道や、俗世間の文筆を弄ばず、あらゆる勝負事や、狩猟などを楽しまず、女性に対しては、欲望を去り、少女・処女・寡婦等に親しまず、その他のこれらに類する一切のことを避けて、修行に専念することだ。

第二には、行者は『口』を慎んで、他人や経典の過ちを語らず、法師を軽んぜず、人々の好悪長短をいわず、小乗の教を信じている者をも、名をあげてそしったり、誉めたり、毛嫌いなどせず、人に逆らわず、問われるならただ大乗の教についてのみ語るなら、初心の者とても心楽しく修行することができる。

第三には、行者は『意(こころ)』に嫉妬や阿諛(おもね)りをもってはならぬ。仏道を修行しているものの長短を以て、軽蔑したり、是非してはならぬ。出家・在家の人が小乗の悟りにあこがれていても彼らをせめて、そんな有様では遂に正覚を得る事ができぬぞ、などといってはならぬ。いたずらに論議をたたかわすこともいけない。衆生に慈悲の心をよせ、仏を慈父と慕い、菩薩を大師と敬うて修行するなら、初心の行者も滅後に法華経を行ずることができる。

第四には、行者は『誓願』として、在家の人、出家の人に対して、常に慈悲を加え、仏の正覚(:さとり)へ遠き人たちに対しては、この人々は仏の説法の真実義がどこにあるかを、聞かず、知らず、覚らず、問わず、信ぜず、解せずしているのだから、己が無上菩提を開いたら、どんなところにいようとも、彼らを必ず法華経の信仰の中に導いてくれるであろう、と慈悲の心を忘れぬことである。

文殊師利! これを『四安楽行』といって、これら四つの大事を心得てゆくなら、初心の者たりとも、わが滅後に、法華経を修行して、決して過失に陥ることはない。こうして法華経を修行するなら、おのずから世のすべての人より尊敬され、神々たちも聴法のために集まり、都合・山野、いかなるところにいようとも、尊い法華経を行じているのだから、諸天は昼夜に身を衛ってくれ、法を聴く者はすべて歓ぶであろう。まことに、法華経は過去・現在・未来に亙(わた)り、仏が自ら大切に守護するところの経典である。

文殊師利! この法華経は無量の国において名を聞くことさえ容易でない。まして、値遇して、受持し、読誦するのはなかなかのことである。譬えてみれば、天輪聖王(てんりんじょおう)が帰順せぬ国々を征服する時、種々な武器を以て討伐平定し、その戦功を論じて部下を行賞するにあたり田宅や、国城や、その他に、衣服、装身の具をはじめ、金・銀・瑠璃(るり)などの七宝、象・馬・車乗等をば与えるが、王が髻(もとどり)の中に秘蔵しているいわゆる『髻中の明珠(けっちゅうのめいじゅ)」のみは、なかなかに授与しない。もし、この明珠をたやすく授けるがごときことがあっては、却って人々が驚き怪しむからだ。

仏もこれと同様に、三界の王であるから、帰依せぬものは一人とてもないが、魔王どもが信伏しない時、多くの聖賢を将としてこれを征服させ、論功行賞のため、いろいろな経典を説いて悟りを得させるが、法華経は容易に説かぬのだ。聖賢の軍がよく一切の魔軍を滅し、大勲功を樹(た)てた時、はじめてそれを説いて正覚に入らしめるのだ。法華経の教に対しては、世間の怨が多く、人々は容易に信じ得ないから、今まで説かなかったのだが、それを今ここにはじめて時聴かせているのである。

まことに、法華経は仏の説く最第一の経典で、一切の経典の中において最も甚遠な教である。最後に人々に説き聞かせるのは、あの天輪聖王(てんりんじょおう)が髻中の明珠を最後に与えるようなものである。

法華経は諸仏の秘蔵するところ、諸経の中において最上位にある。久しいこと、昼となく夜となく、大切にして妄(みだり)りに説かなかったのであるが、それを今日はじめて、人々のために説き聞かせているのであるぞ。」----以上迹門流通分



迹門法華経【序品(第一)~安楽品(第十四)までの内容】の梗概 完


次回からは、本門法華経の梗概として【従地涌出品(第十五)~普賢菩薩勧発品(第十八)】までをブログに更新いたします。



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