正修寺別院「縁の里」動物霊園のブログ

大阪府茨木市の正修寺別院「縁の里」動物霊園では、家族の一員として共に暮らしたペットたちが安らかに眠れるように日々供養をいたしております。「縁の里」でのイベント情報や日々の様子をご紹介しています。

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迹門(しゃくもん)法華経の梗概(こうがい:概要) 第 21回

そのかわりに、その困難に打ち勝って、わが滅後に、自ら強く正しく信仰し、他に対して説き聞かせるものがあるなら、仏はその危難を衣を以てかばうであろう。その人は多くの仏によって護られ、信仰にも、願望にも、一入(ひとしお)の力が加わるであろう。この人は仏と共に宿り、仏の手によって頭(こうべ)を摩(なで)たたえられるのだ。

薬王! この法華経が説かれ、読誦(どくじゅ)され、書写されるところがあるなら、どんな所であろうとも、そこには七宝の塔を建てて荘厳してくれ。その中に仏の舎利がまつられていないでも、生ける仏がいるのだから、香、華、瓔珞、伎楽等を以て恭しく尊重し、讃嘆しなくってはならぬぞ。この宝塔を見て礼拝するものがあるなら、その人は、一歩一歩、無上正覚に近づいているのだ。

薬王!在家であれ、出家であれ、成仏を志して菩薩の道を修行せんとつとめながら、法華経を読誦し、書経し、供養することができぬなら、その人はまだ真の菩薩の道を行じていないのだ。もし、この経を聞くことができたら、その人こそ善く菩薩の道を修行しているのだ。であるから、仏道を求めて法華経を見聞し、信解し、受持することができたら、この人はまさに無上正覚に近づいているのだ。

薬王! 譬えていうなら、渇きに苦しんでいる人が、水を求めて高原に井を掘るに、乾いた土ではまだまだ水に遠いことを知るであろう。しかし、たゆまず倦(う)まず、堀り進んで、ようやく湿った土、更に泥土に達したら、水に近づいたことが知れよう。仏道の修行もまたこれと同じである。この法華経についてまだ聞くことなく、従って解するところなく、修行するところがないなら、その人は無上正覚を去ることがなお遠いのだ。幸いにして、聞いて、解し、心に思い、身に行じるようになったら、その人は無上正覚に近づくことができたのだ。なぜかというに、すべての修行者の無上正覚はこの法華経の中にあるからだ。この法華経は方便の門を開いて真実の相を示す経典である。まことに、法華経の教は、深く、遠く、容易に人の究め得ぬものだが、今われ釈迦牟尼仏は、まことに仏道に志す者のために、ここに法蔵を開いて教を垂れているのである。

薬王! もし、菩薩と呼ばれるほどのものであって、この法華経の教を聞いて、疑ったり怖れたりするようなら、これは今道心(:しんまい)の菩薩といってよく、阿羅漢であって、疑い、怖れなどするなら、それは増上慢の者というべきだ。

薬王! もし仏の滅後に、男女を問わず、人々のために法華経を説くにどんな覚悟が必要かといえば、それは第一に『仏の室』に入り、第二に『仏の衣』を着、第三に『仏の座』に座してから説かねばならぬ、仏の室とは一切衆生に対する大慈大悲の心であり、仏の衣とはいかなる苦難や侮辱にもたえる忍耐の心であり、仏の座とは何事にも執着しない無我無欲の心である、この仏の室、仏の衣、仏の座に身をおいてから、専(もっぱ)ら精進して人々のために広く説くべきである。

薬王! 仏の滅後に上の如くして法華経を説法するものがあるなら、どんなところであろうとも、変化の人を遣わして、説法を聞かせもし、修行もさせよう。また時にはわが身を見せ、説法者が大事を失念するが如きこともあらば、記憶を喚びおこさせもしてくれるであろう。」


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