正修寺別院「縁の里」動物霊園のブログ

大阪府茨木市の正修寺別院「縁の里」動物霊園では、家族の一員として共に暮らしたペットたちが安らかに眠れるように日々供養をいたしております。「縁の里」でのイベント情報や日々の様子をご紹介しています。

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迹門(しゃくもん)法華経の梗概(こうがい:概要) 第 18回

授記を得た中の五百の阿羅漢は、大歓喜を以て仏前に進み、仏足を礼して、過去に小乗の教に囚われ、一時の悟りを究竟の悟りと思い誤っていた罪を自責しつつ、「世尊!私たちはこれまで僅かに阿羅漢の悟りを開いたに過ぎないのに、究竟(:しん)の悟りを得たものと安心していました。その愚かだったことを、今日にしてはじめて覚りました。私たちとても、真の正覚を開くことのできましたものを、小さな智慧に満足していて、まことに愚かでありました。その愚かさを譬えてみますなら、

ある愚か者が親しい友の家を訪れますと、友は大変に喜んで歓待してくれましたので、つい酒に酔うて、そこへ前後不覚に寝込んでしまいました。友は突然に公の用事が出来して、他行せねばならなくなりましたが、日頃から彼の愚かを知っていましたので、値どれほどとも知れぬ立派な宝珠を愚人の衣の裏にかけてくれ、そっと出て行きました。
勿論、愚人はそんなことには、一向に気がつきませんでした。やがて眠りより醒めた彼は、友の家を辞し、またも前の如く衣食を求めて所々方々をさまよい、僅かに得るところがあれば、それで細々と露命をつないでいました。すると、不図して友はまた愚人に出会いました。みれば、依然としてみすぼらしい姿です。それをみた友は「馬鹿な、衣食のためにその様はなんたることだ?こんなこともあろうからと心配して、楽々と暮らせるように、先ごろ訪ねて来た時、わしが宝珠を衣の裏にかけておいてくれたのに、それに気づかないのか。現にそこにその宝珠を持っていながら、乞食などしてそのさまは何事だ?愚かしいにもほどがある。その宝珠さえあれば、意のままに生活することのできるものを・・・・。」と叱るのでありました。

これとどうように、世尊は私たちに昔より無価(むげ)の宝珠たる仏性のあることを教え、それを磨いて成仏の悟りを開くように、とおさとしくださっていたのです。それなのに、私たちの心は眠っていて、それと気づきもせねば、忘れ果てていて、阿羅漢の悟りを得て、それを究竟の悟りの如く思っていましたのでした。だが、仏性の宝珠は今日もなお失われず、世尊は私たちを目覚ましめ、阿羅漢の悟りは究竟のものでない、真の正覚である成仏へいそしめ、とたえず教えてくださっていましたことを、今はじめて心からさとりました。まことに、私たちも成仏することのできる仏子でした。菩薩でした。今、成仏の記別(:お墨付き)を親しくお授けくださいましたこの歓喜のほどは、言葉には申しつくすことができません。」と釈尊に対して厚く喜びを申述べるのであった。
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