正修寺別院「縁の里」動物霊園のブログ

大阪府茨木市の正修寺別院「縁の里」動物霊園では、家族の一員として共に暮らしたペットたちが安らかに眠れるように日々供養をいたしております。「縁の里」でのイベント情報や日々の様子をご紹介しています。

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迹門(しゃくもん)法華経の梗概(こうがい:概要) 第 13回

釈尊は迦葉尊者(かしょうそんじゃ)ならびに多くの弟子たちに、
「よし、よし、迦葉!よく仏の教の真実の徳を語りました。そちたちの語る通りである。仏の教の功徳は広大無辺であって、そちたちがどんなにしても語り尽くしえるところでない。仏はあらゆる教を究めていて、種々な方便を以て説く教は、すべて衆生を成仏せしめんがためである。一切の法を究めつくしている仏は、衆生の心の趣くところを悉く察知していて自在に教を垂れるのだ。

譬(たと)えていうなら、全世界の山川・渓谷・大地に生えている無数の草木は、それぞれに、色も、形も、種類も異なっているが、雨雲が一天を覆い、どっと大雨を降らすなら、これらの草木は等しくその雨に潤い、小さい草、小さい木、中ごろの草、中ごろの木、大きな草、大きな木は、それぞれ大・中・小児随い、それに潤って成長し、華を開き、果を結ぶであろう。かく一つの雨に潤いながら、それぞれに異なって、華を開き、果を結ぶのは、草木そのものの性情が異なる故で、降る雨は一味なのだ。

迦葉!仏もこれと同じで、世の中に降誕するのは、あの大雲が大空を覆うが如く、大衆に宣言するであろう。われはこれ悟りの世界より来たって衆生を済度する如来である。いまだ生死の苦界を渡ることのできないものは菩提の彼岸に到らしめ、いまだ煩悩より開放されていないものは開放し、いまだ恐怖におののいているものには大安心処を得させ、いまだ仏の正覚に入り得ないものは悟らしめるのだ。仏は現在も未来もそれがいかなるものか、誤りなく知っている。まことに仏は大智慧者で、悟りの道を究め知り尽くしていて、衆生のためにその道を開き、それを説き知らしめるのだ、一切の衆生が仏の所に来って法を求め、聴聞せんとするなら、仏は人々の根性のさとさ、鈍さ、努力と怠慢の相違を案じて、堪え得る力の程度に従い、いろいろに説法して悦ばせ、彼らを利益するが、人々がそれを聞いて心から信奉するなら、現在は心安く、未来は善処に生まれ、正しい道によって楽しみを受け、諸の障りを離れて、一歩一歩悟りの中に入ることは、恰(あたか)もあの大雨に潤うて、草木がそれぞれに生長するが如くであろう。

仏の説法はいつも一味平等で、衆生をして迷妄を脱脂、生死を離れ、苦悩を滅して智慧に到達せしめるもので、人に対しての依怙(えこ)も、偏頗(へんぱ)もない。衆生は仏の教を聞いて修行し、どんなことを行じ、どんな教を修行してどんな功徳を得るかなど、ことごとく審(つまび)らかにしているのだ。仏は衆生がいかなる立場にたっているかを、ありのままによく承知しているが、衆生自らがそれを知らぬのは、あたかも草木が自らの性情を知らぬが如きものである。衆生は自らの性質なり、欲望なり、志願がまちまちであるために、仏の説法をいろいろに聴くので、ちょうど、一味の雨もそれぞれの草木がそれぞれに自らを養い、柳は緑に、花は紅に、相違するが如きものである。如来の教は一相一味で、衆生をして迷妄を脱し、生死を離れ、苦悩を滅して、悟りの境に至らしめるのだ。迦葉!そちたちは仏の説法の微妙な点を解し、よく信ずることができた。まことに仏の説法の妙は解し難く、知り難いものであるぞ。」
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