正修寺別院「縁の里」動物霊園のブログ

大阪府茨木市の正修寺別院「縁の里」動物霊園では、家族の一員として共に暮らしたペットたちが安らかに眠れるように日々供養をいたしております。「縁の里」でのイベント情報や日々の様子をご紹介しています。

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迹門(しゃくもん)法華経の梗概(こうがい:概要) 第6回

「舎利弗!これから説くところは、仏がまことに稀に語る大事で、3千年にして僅か一度といわれる優曇華(うどんげ)が華咲くように珍しいことだ。舎利弗!よく聴け、仏の言葉には断じていつわりはない。仏の説法の意図は、容易に解することができまい。仏があらゆる方便や因縁や、比喩などによって説くところは、人々の思慮や分別の及ぶ限りでなく、ただ仏と仏との間にのみ理解されるところだ。

すべての仏が人の世に誕生するには、一つの大事な理想があり、目的がある。それを「一大事因縁」というのだ。
では、一大事因縁とはどんなことか。それは、仏は衆生をして彼等が本来内に具えている仏の「知見」----仏性を開いて、清浄な生活を営ましめんために世に出現するのだ。衆生に仏性を示し、その仏性とはどんなものかを悟らせ、そして仏性の活動の中に入らしめんために出世するのだ。これを仏が世に誕生する一大事因縁と名づけるのである。

かく仏の出世は衆生をして本来具わっている仏性を磨き、彼等をして誰彼の別なく、等しく成仏せしめんとするところにあるので、これを語る教を「一仏乗」の教といい、この他に説く教はすべて方便で、仏の根本の教は、かく衆生が一人残らず成仏することのできる一仏乗の一つのみで、二つの教があり、三つの教があるわけのものでもない。

舎利弗!総じて、十方の世界のすべての仏の教化にはこれと異なることがなく、過去世の世に出世された仏も、いろいろの方便・因縁・比喩・言辞(ごんじ:ことば)を以て衆生のために種々と説法をされたが出世の根本目的はただ一仏乗によって彼等を成仏せしめることにあったのだ。未来に出世される仏も、種々に説法されるであろうが、また一仏乗のためである。現在も多くの仏が十方に出世して説法されているが、これもまた一仏乗の教によって、衆生に仏の悟りを得させんがためである。要するに、いかなる仏も、衆生の本来内にもつ仏性を開き、示し、悟らせ、入らしめんとすることの外に、出世の一大事因縁とてはない。

舎利弗!われ釈迦牟尼仏もこれらの仏と同じで、衆生がそれぞれに求むるところ、また人々の性質等の相違を知っているから、その欲するところに随って種々に教を説くが、これらはすべて方便であって、畢竟(ひっきょう)するに、一仏乗の教に誘わんがためのものである。十方の世界には、真実の教とては、衆生が本来もっている仏性を開発する一仏乗の外に、二つあり、三つあるものでない。

舎利弗! 仏は衆生のすべてが、欲望の上にも、思想の上にも、生活の上には、濁りはてた混濁した時代に出世し、彼等の迷いや悪を除くために、一仏乗をしばらく分別して、二つも、三つにも説き分けるが、これは仏が彼等を教化する方便(:てだて)なのだ。それであるから、たとえ阿羅漢たりとも、仏の教化説法のこの秘事を解することができぬなら、それはわが真の弟子ではない。僅かに阿羅漢の悟りを得て真実の正覚(:さとり)に入ったかのように思い、一仏乗の因る仏の無上正覚にあこがれず、これを求めぬのなら、それは増上慢の屋か徒である。

舎利弗!そちたちはここに語る仏語を一心に信受してくれ、仏の説くところに決して虚(:いつわり)はない。
仏の出世は、衆生を阿羅漢や菩薩の悟りに止めおかんとするものでなく、一仏乗の教によって、一人のもれなく仏になさんとするのである。」
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